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- 近岡村(近世)とは
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近岡村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国加茂郡のうち巴川の右岸,黍生【きびゆう】山の南麓に位置するはじめ下総栗原藩領,寛永15年幕府領になったと考えられ,慶安4年からは旗本石川氏知行(大島陣屋)村高は,「寛永高附」64石余,「元禄郷帳」95石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに96石余神明社がある慶応元年尾張国岩作村から伝えられた見当流棒の手を神明社の例祭と足助【あすけ】八幡宮祭礼に奉納する山上に黍生城跡があり,足助氏初代となる山田重長が治承年間尾張国から移住して築いたといわれ,平家方によって落城したとの伝えもある(足助町誌)吉田古墓があるが,由緒不詳なお,「三河志」に近岡村古城とあるが所在不詳隣村寺沢村の成瀬古城との混乱と考えられる明治11年東加茂郡に所属同年追分村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」